主張・思想: 2008年10月アーカイブ

昨日、「インカ帝国の成立」を通して歴史に興味を持ってもらいたいと書いた。

今日はこの作品を読み、読書のすばらしさを実感してほしい。

それは、田山花袋の作品、「少女病」である。青空文庫でも読める。

この作品は、主人公の杉田古城が、電車で巡り会う美しい娘たちに思いを寄せる様子を描いたものである。

杉田はかつて名の知れた文学者であったが、発表する作品が少女に関するものばかりになってきて、世間から笑いものにされ、今では雑誌社で雑誌の構成をやっているしがない中年男性である。見てくれは、簡単に言うとゴッツイ。

そんな杉田は、歳を取った妻や、嫌みな編集長のいる雑誌社での生活にあきれていた。だが、通勤途中で出会う娘たちを見ることが彼を癒していたのだ。しかし、最後には電車に乗っている美しい娘に気を取られ、周りの乗客がよろめいた時にそのまま車外へ投げ出され、反対方面の電車に轢かれてしまうのであった。

現代には杉田のような男はいくらでもいる。私の周りにもいる。作品の一節と題名を借りていうならば、彼らは「少女病患者」である。そして、彼らの環境は確実に良くなっている。それは、田山花袋の生きていた時代と今を比較すれば明かであろう。

女子高生はセーラー服を着ているし、若い子は、特に夏など露出度の高い衣服を着用していることが多い。現代の通学時間帯の電車内は、過ぎたにとって、もう聖域であるに違いない。それは現代の少女病患者にも言えることだろうけれど。

この作品からは、様々な手法を学び取ることができる。

例えば「二」の第二段落の終盤から「二」の最後までを読むことによって、次のことを導ける。

  • 綺麗、あるいはかっこいい人をみつけたら、その人が落とし物をしないかどうか観察する。落とし物をしたら、だれよりも速く真っ先にそれを広い、渡す。

他にも、「四」の第二段落中場から終わりにかけての文章からは、電車の中で娘を観察するための細かな手法が説明されている。

初期の少女病患者にとって、この作品はバイブルとなるであろう。しかし、作品中で杉田自身でそのような手法を自然と身につけたと書かれていることや、私が友人を見ていて感じるように、おそらくこうした様々な観察手法は常に効率的なものが個人によって生み出されているに違いない。しかも、明治時代とは比較にならない現代の環境では、基礎を押さえつつ、いかにして応用していくかが課題となるであろう。つまり、物事には基礎が大事だということだ。

このように、「少女病」という作品は、私たちに大切なことをいくつも教えてくれた。読書することの楽しさ、文章から妄想することの喜び、文章を読み解く力の必要性などである。だから、是非とも高校の教科書にこの作品を・・・。

ところで、私の20年後も、この杉田のようになっているかもしれない。

「インカ帝国の成立」という曲(動画がYouTubeにあります)。

これはインカ帝国が成立するまでの出来事を歌にしたもので、史実に基づいたアカデミックな内容となっている。ほとんどの日本人はインカ帝国の存在は知っているものの、その成立や滅亡などについての知識は皆無と言って良い。この曲はそんな日本人が少しでもインカ帝国について学ぶ機械を与えるであろう。

作詞、作曲、歌を担当するつボイノリオ氏は、過去に吉田松陰に関する曲も手がけている。しかし、今回の「インカ帝国の成立」は日本の歴史ではなく外国の歴史である。インカ帝国について取り上げたことを、つボイノリオ氏は次のように語っている。

「ペルーは日本と非常に関わりが深い国であるのに、日本人は過去から現在に至るペルーについてほとんど知らない。何故かというと、教育されていないからに他ならない。我々の祖先がベーリング海を渡り北米から南米へ移動したことからも、ペルーと日本の間には強い繋がりがあることが分かる。だから、私が日本の教育の一端を担うような役割をしようと思った。」

これは『「インカ帝国の成立」の成立』という番組でつボイノリオ氏が述べていたことをまとめたものである。

ここではインカ帝国に関してあえて触れず、曲を聴いていただいたり、ウェブでインカ帝国について調べていただくことによって、読者にもインカ帝国に対する知識を深めてほしいと期待する。

だが、教育の中でインカ帝国が軽視されている理由には触れておかねばなるまい。

元来、日本の教育では古代の4大文明として、エジプト文明、シュメール(メソポタミア)文明、インダス文明、中国文明が取り上げられている。これらは考古学者の間でも、古代文明の中心的なものとして深く研究されてきたからである。

一方、これまで考古学者たちは南米のメキシコ・マヤ、アステカ、インカの文明についてはほとんど興味を示していなかった。これらの文明が成立していたころ、ヨーロッパでは都市同士の交流が盛んで、多種多様な文化が混じり合い、大きな文明が気づかれていたのに対し、インカやアステカ、マヤは山脈や海などで他の文明とは孤立しており、その地域だけの部族で文明を構成せざるをえなかったのである。

すなわち、文化の交流があった文明の方が発展を遂げ、孤立していた文明はそうでもなかったという思いこみがあったのであろう。インカやアステカがヨーロッパ人によってあっさり滅ぼされたという経緯もある。

ところが、実際にはその逆で、ヨーロッパの都市に大きな建設物が無かったころに、既にインカやアステカ、マヤには大きな神殿が建設されていたという。

そして、インカ帝国に限っていえば、初代の王であるマンコ・カパックがネックとなっている可能性は高い。王マンコの業績は歴史学者からは評価されているが、育ち盛りの中学生が読む教科書に「マンコ・カパック」とか「王マンコ」などという記述をするのには問題があると、教科書編集委員は考えたに違いない。

つボイノリオ氏は、前述のインタビューの中で、こうしたインパクトの強い人名・地名が教育の中に現れないことにも触れている。バリ地方のキンタマーニという村、オランダのスケベニンゲンというリゾート地、南太平洋のエロマンガ島などである。

これらは、おそらく一度聞いたらぜったいに忘れない地名だ。エロマンガ島には「イロマンゴ島」という呼び方もあるようだが、「エロマンガ島」の方が覚えやすい。

しかも、エロマンガ島には、19世紀半ばから広範にかけて、フランスやイギリスから宣教しが派遣されるも、原住民に殺され、報復として島を軍が占領したという歴史もある。宣教師来島以後、オーストラリア開拓のための奴隷狩りに訪れた商人が原住民に殺され食べられる(原住民には食人の風習があったようである)などの事件が起き、島の統制を取るために軍が島に上陸したが、原住民への報復を正当化するだけの役割しか果たさず、効力を持つ行政機関が設置されたのは20世紀に入ってからだそうだ。

こうした知識は、歴史や地理にぜんぜん興味を示さない子供に、歴史や地理に興味を持つきっかけを与えるのではないかと考えられる。実際、こうして筆者はエロマンガ島の歴史について学び、そこからイギリスやフランスの宣教師派遣について学びたいと思うように至ったのである。

ちょっとしたきっかけで、こうしていろいろなことに興味を持てるはずの子供たちが、大人の勝手な言い分でそうした機械を奪われていることを、私は悲しく思う。一応教員免許を持っている身として(数学の免許だけれども)。

そのようなことで、読者の皆様には、つボイノリオ氏のユーモアを通して歴史や文化に興味を持っていただきたいなあと思う次第で・・・。

私も大好きですよ、王マンコ。尊敬すべき王である。指でつつかれても、敵になめられても、激しく、ときには後ろから攻められても、矢で貫かれて少し血が出ても、兄弟姉妹との結婚が禁じられている中、王自ら妹と結婚しても、私はマンコ・カパックを尊敬する。

■(参考)

陰謀

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きっと、陰謀論者は今頃こう言っているであろう。サブプライムローン問題に端を発し、アメリカの証券会社破綻、それをきっかけとした世界同時株安など、金融危機が世界経済を襲っている。

たぶん、陰謀論者は、こうした機器は、陰で世界を牛耳っているユダヤによって引き起こされたことであると主張するだろう。というか、ネガティブな出来事は全て陰謀なのである、彼らにとっては。

しかも、たいていユダヤとかイルミナティが潜んでいるらしい。最近も、アメリカのブッシュ大統領はイルミナティの秘密結社である、という主張を読んだ。その人の主張によれば、イルミナティの秘密結社であるブッシュは、いずれ起こるであろうニューヨーク市場の大暴落に何ら手を打たず、それどころか政府の金を着服した罪で逮捕されるというのである。ちなみに2006年に出版された本であった。もともと「宇宙人がそろそろ地球にやってきます」という本だったのだが・・・。

陰謀論者の論理では、我々一般人がそうした陰謀組織を否定するのは、陰謀論者がそのように人の意識を操作しているからなのだ。そして、世界で起こっている大事件のほとんどが、そうした陰謀組織を背景にしているという。

今回の金融危機も、その陰謀の一環なんだろう。何故そんなことを陰謀組織がするかといえば、もちろん、世界支配が目的である。

先ほど挙げた「宇宙人ともうすぐ会えます」みたいな本によれば、世界は金融経済をさっさとやめ、金(gold)を資本とした貨幣制度にすぐさま移行すべきだと書かれていた。今の世界の経済システムは、銀河連邦では否定されているらしいのだ。

だいたい、今の金融経済そのものがユダヤやイルミナティによって作られたもので、我々はそれに速く気づく必要があるっていうんだから困ってしまう。そう言われても・・・。

で、何が言いたいかというと、俺はそんなことが言いたいんじゃない。

要するに、「もうすぐ宇宙人に会えます」というタイトルでありながら、「ブッシュ大統領はイルミナティでもうすぐ逮捕されます。ブッシュが逮捕されたことが明るみにでたらニューヨーク市場は暴落し、世界経済は一気に破綻します。そしてゴールドを主体とした経済システムへ移行しなければなりません。また、地球そのものが機器に貧している今、私たちは次元を上げていかなければなりません。」という主張をする本を書いている占い師の著者は、本当に的中率90%なのか?ということなのだ。

ただ、「今こそ物欲から離れ、人間の心にとって本当に大切なことは何か、よく考えてみなければいけないのです」という主張はそのとおりだと思う。いやぁ、耳が痛い・・・。物欲は我慢せんといかんとです![禁欲] is very very important!そうお~もいませんか~?

全盲には、一人で歩くのが比較的できる人と、あまりできない人がいる。

もう少し細分化すると、一人で歩く事に抵抗が無い人、誰かと歩く方が好きだが一人でも歩ける人、道を覚えれば一人でも歩ける人、知っている道以外一人では歩きたくない人など、様々である。

比較的歩ける人には、人に道を聞いて目的地へたどり着くことがそんなに苦労なくできる人が多い。逆に一人で歩くのが苦手な人には、なかなかそういうことができる人はいない。

そのような違いは、おそらく頭の中に地図を描き、それを利用して歩いているかどうかではないかと考えられる。歩ける人は自分の辿った道筋や教えてもらった道順を描き、それを頼りに補講することで迷わないのではないだろうか。逆にイメージ化ができないと、一人で歩くのは難しいことになる。

友人とこのことを議論したことがあるのだが、大きな焦点は、地図を描ける人と描けない人の違いである。

その友人の分析によれば、まず、自力で歩行できるだけの視覚経験のある人は比較的歩ける部類に入る人が多いようだ。これを俺たちの周りの人々に当てはめてみると、だいたい当てはまる。逆に先天性の全盲には苦手な人が多いのではないかという。かく言うその友人も先天性で一人で歩くのが苦手だそうだ。言うまでもないが、見えていたのなら図形概念が存在しているので、脳内でイメージ化するのも可能だという主張である。

次に、スポーツをやっていた人も一人で歩ける人が多いという。まぁ理屈は分からないでもない。スポーツにおいては自分の位置は非常に重要であるから、動いた距離や方向から自分の位置を推測し、それを元に行動する能力が養われるというのである。

そしてこれは俺の推測であるが、おそらく数学ができる人も比較的歩けるのではないか。これは数学を学ぶことにより図形的な概念が形成されるので、特に作図などをきちんとやっていた人は脳内にイメージを作ることもできるのではないだろうか。

ここで、歩行訓練にも注目してみたい。盲人はたいてい小学校のうちに一人で歩くための訓練を行う。その訓練を歩行訓練といい、大きくは2つの訓練に大別される。

1つは歩行スタイルの獲得である。歩行するときに白杖を使うこと、白杖をどのようにして使用するか、電車にはどうやって乗るかなど、歩行する上で基本となる事項の訓練である。

もう1つはルート歩行などとも呼ばれているようだが、目的地を指定し、ある地点から目的地へたどり着くために必要な様々な技法を習得するための訓練である。

考えたいのは後者の訓練である。ルート歩行の訓練では、主に次のような訓練が行われる。

  • 簡単な地図(触図)でルートを確認し、スタート地点から目的地までの道順を暗唱する。
  • スタート地点から目的地までの道順を口頭で教わり、地図に書き起こす。
  • 地図や口頭での説明を元に、実際に歩行する。
  • 補講したルートを地図に書き起こしたり口頭で説明したりする。

これらは最も基本的な訓練である。初めは建物の中から始め、次第に外に広がっていく。このとき、手がかりを使って歩行ルートの確認や危険性把握などを行う訓練も同時に行われる。

発展的な訓練として、同じスタート地点、同じ目的地へ行くために、複数のルートを使って補講する訓練、スタート地点から目的地までのルートの中で、ランダムな地点へ連れて良かれ、そこから目的地へ行く訓練などもある。さらにこれを発展させ、スタート地点から目的地までのルートとは全く別の地点に連れて良かれ、そこから目的地へ行く訓練などもある。

俺はこういう補講訓練を受けてきた。おかげでというか、一人で歩くのは全く問題ない。おそらくほとんどの全盲はこういう訓練を受けただろう。にも関わらず、人によって歩けるようになる人とそうでない人がいるのだ。

訓練の仕方にもよるかもしれないし、普通の人だって方向音痴の人がいるのだから全盲は余計多いという主張もある。実際のところ、小学校や中学校などで、6,7年歩行訓練を受けるわけだが、できない人はできないようである。

そうしたことは誰かが論文で発表してないか気になるわけだが、どういうキーワードで検索したらいいんだろう。悩ましい。

では、もう少しこれを発展させてみる。一人で歩くのが苦手な人は、今から訓練したら解消されるんだろうか。

大人になって今更歩行訓練を受けるなんて、ほとんどの人がいやがると思う。けれども、俺としては、どちらかといえば一人で歩けず人に頼る事の多い人生を送るなら、ちょっとの時間を割いて自分で歩けるように努力する方が有意義だと思うのだが、そこで問題なのは効果があるのかどうかということなのだ。

点字を大人になってから勉強しても習得が難しい。これは感覚器官ができあがってしまっている大人だから問題があるようなのだ。何にしても、子供のころからやっていることと、大人になってから始めたことでは、伸び率も違うし、到達地点も違う。明らかに子供からやっていた方が身につくのだ(大人には時間がないという主張はあるにはあるけれども)。そうであるならば、補講能力についても、子供のころさんざんやって身につかなかった人が、大人になって訓練を受けたところで無駄なんだろうか。

これらの問題については、これからも考えていきたいと思う。

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